生きなおす時間
うまれたて。
4年前にも話したことがある
宗教について登場したサウジアラビアの友人の話
数日前また違う話題を思い出して考えてました。
日本人ってなんで石とか木とかにいちいち感謝するの?
感謝するのは神様にだけでいいじゃん。
と言われました。
私も宗教家ではないので
全然詳しくないけれど
感謝してる人々の事を悪く言われた事に
少しムッとし
「まあ石とか木とかそれぞれに神様がいると信じて
それぞれに感謝するのはいいことなんじゃない?」
と言いました。
すると
「なんで神様が作ったものに感謝するの?
それを創った神様にだけ感謝すればいいだよ。
すべて神様が作ったんだよ?」
といいます。
「神様が作った人間同士で感謝しあうことだってあるじゃん。」
と思いながら
私も負けじと
「別にそこは否定しなくていいんじゃない?
感謝すること自体悪いことじゃないんだし。」
すると
「じゃあゆかりもイスラム教を否定しないで。」とのこと。
何のこと?と思ったら
どうやら私が
「毎日何度も決まった時間にお祈りするの大変だね。」
と言ったことが
否定されたような気になっていたようです。
否定したつもりはなかったし
むしろすごいね。という意味を込めたつもりでしたが
大変ね。と言った時
「そこまでしなくても。」という気持ちが
もしかしたら多少なりともあったのかもしれません。
お祈りの時間といえば
私は寝る前に
今の自分が在ることを意識して
感謝して寝るようにしています。
(いつの間にか寝落ちしている以外)
するとやはり自然に
自分の両親から、祖父母
それから会ったこともないけど
私の中にいる
私に命を繋いでくれた先祖へ想いを馳せます。
例えば新年を迎えるとき。
誕生日や記念日など。
今までの事を振り返り
気持ちが引き締まるように
毎晩その時と同じような感覚になれます。
何時間後には忘れてしまってることもありますが(てへ。)
それから将来のイメージ(妄想)も。
これがお祈りなんでしょうね。
どんなことをきっかけにしてもいいと思うんです。
その人にとってしっくりくる時に
感謝して
生きなおすきっかけとなる時間
そういう時間を意識的に作ることが大事だなって思います。
宗教ってそもそも
人一人が幸せに豊かに生きる為に
創られたものだと信じたい。
だからね
有難いと思うことができて
自分を信じることができて
そんな人生を過ごせることに
恩返ししていく気持ちがあれば
宗教が戦争につながることなんてないはず。
銃と一緒で
悪いのは宗教じゃなくて
使い手の問題なんですよね。
話が少しそれましたが
私が大変だとほざいた
彼らの一日数回の時間は
彼らの大事な感謝とお祈りの時間だったのだなあと
改めて尊重致したい気分になったのです。
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