私が死んでも愛は残る。




かなり強烈なタイトルになりましたが


言いたいことを一言でまとめるとこうなりました。




私は一人の時

特に若いころは

生きるのつらいことのほうが多いし

長生きしたくないって思ってました。



そのあと色々とありまして(それらは後程)

やっとぱっちり目が覚め

生き方が変わり




愛する人に出会えました。




それから、その愛する人との間に

愛する子どもたちが来てくれました。





そうするとなおさら

自分の命は自分だけのものではなくなりました。




娘が生まれてから変な頭痛があり

いつも病院を先延ばしにする私が

すぐにMRIを取りに行きました。



頭の血管キレて今私が死んだら

この子はパパが帰ってくるまで

一人で泣き続けることになるのでは


と妄想が膨らみ


居てもたってもいられなくなったのです。(想像しすぎ)





それからしばらく経って

命があったことに改めて感謝する熊本地震がありました。


幼い子達を残して、病気で亡くなった小林麻央さんのニュースも見ました。



自分だけのものではなくなった自分の死について

リアルに考える機会が増え



私が死んでしまったら

死んだことすらわからず

この子たちを抱きしめられなくなるんだと

考えることが増えました。



今この子たちの笑顔を目の前にし

「愛してるよ。」と伝え抱きしめられることは

これ以上ない幸せだなあと


日々そんな想いの連続です。





特に毎朝目覚めた時

隣にいる子どもたちの顔を見ると

今日も生きていられた。

今日もこの子達と一緒に生きられる。

と思うのです。

私より早く目覚め「ままおはよー。きょうきもちいいねー。」と毎朝笑顔で言ってくれる娘。




そして

いつまでこの子たちの成長を見続けられるんだろうとか



私が死んでしまったら

この子たちを愛している気持ちを

どうやって残せばいいんだろう



などとちょくちょく考えるようになりました。



ある日遊んでる我が子を見つめていたら

ふと初めての感覚になりました。



わ。

わー。

この愛は私がこの世からなくなっても消えない。

この子達が覚えていようが覚えていまいが

この子たちに残るー。



とよぎりました。



え?

安心してください。

おかしくなったわけじゃないですよ。(多分)



今まで、誰かが大切な人の死と向き合わなければならなかった時

「その人が見守ってるよ。」とは言えない自分がいました。


それは単純に

人が亡くなった後のことがわからないからです。



「あなたの心の中であなたと生き続けるよ。」は言えました。



おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなっても

自分の中にいたからです。



今回は自分という存在が無くなったとき

この私の愛はどうなるのだろうと

自分中心で考えたんです。



星の王子様も言ったように

本当に大切なものは目には見えない。



見えないけれどここに確かにあるし



これだけの愛は

物質ではないだけあって無くなりようがない。



こうやって命は繋がってきたし

これからも繋がっていくんですね。




これからもますます

家族への愛情表現を出し惜しみせず

愛しまくろうと思っています。




































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