間違い探しではなく宝探し。
「 親が敷いたレールを歩いただけで そこに自分の意思はなかった。」
我が子が大人になったときに
そう感じてしまうような子育てだけにはならないようにと思っています。
しかし子どもに幸せになってほしいと願う愛情があるからこそ
やってしまいがちなレール敷き。
愛する子どものためには
レールを敷いてあげるのではなく
右にも左にも斜めにも
好きなように作っていける
道の作り方を教えてあげたい。
いつも言っていますが
自分を信じる力
生きる力をつけてあげる事が目標です。
とはいえ子どもが自分の決断にある程度の責任を持てるまでは
親やその代わりとなる周りの大人の導きは必要です。
導きと強制の境目を間違えないようにしなくちゃ
ボーっとしてたら境目を見落としそうな気もします。。
例えば今、娘はダンスに通っています。
音楽に合わせて体を動かすのは
人間が持っている本能的な喜び。
しかし、自分以外の周りを意識し始めたときに
恥ずかしいとかいう感情のせいで
人前だとそれが出来なくなってしまう時期があります。
自然に感じる喜びを
自由に表現できなくなるということはもったいない。
そうならないように
本人も好きそうだったので、早めに始めました。
まだそんなに好きなもの
嫌いなものがはっきりしていない時期は
ちょっと引っ張ってでも、足を踏み入れるまでは
してあげても良いのではというのが個人的意見です。
(最初の保育園入園時のようなもので
最初は全力で嫌がる子ども達も、園の楽しさを知ると毎日行きたがるようになります。
通い始めて、何か行きたがらない理由がある場合はまた別の対応が必要です。)
今は楽しんでやっていますが
もしも「辞めたい。」と言った時に
辞めたい理由がなんであるか
本質に目を向けられる余裕を持ってサポートして行きたい。
子どもたちの為に今の私が出来ることは
子どもが成長して何かをしたいと思った時に
「これがしたい。」と堂々と言える関係と
選べる環境をつくること。
例えば英語を話せるようにしてあげていたら
将来の選択肢は世界に広がります。
では、英語を話せるようにしてあげるには
その環境づくりと本人の努力が必要です。
努力というのは耐えて行うだけではなく
楽しみながら行えます。
幼児期は特に
楽しみながら何かを行う事が大切。
楽しみながら行うためには
これまた周りの大人の環境づくりがポイントになります。
これらは、レールとは違います。
何かがその子に向いているか向いていないかは
子どもの表情を見ればわかります。
長年保育に携わってきて実感として確信を持って言えるのは
子どもの個性は0歳から全部違っていて
好きなことも
得意なことも
何に幸せを感じるかもみんな違っていて
大人の役割は
それを見つけてあげること。
それを伸ばしてあげること。
これで大きく子どもの人生が変わります。
他の子が出来るのに
我が子には出来ない。という間違い探しではなく
他の子に出来ようが出来まいが
我が子には出来る。という宝探しを
親子でやってほしい。
我が子が成長して、将来の道を選ぶ段階に来た時に
子どもたちが何をしたいと言っても
子どもたちを信じて(信じるというのは、失敗しないという事ではないです。)
「思いっきりやっておいでー!」
と言ってあげる大人が増えると嬉しい。
そして私も
そんな大人になるため・・・・
修行の日々です。。
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